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河内キリシタン

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城跡から墓碑出土地(阪奈サナトリウム)方面を望む

竹延神父の河内キリシタン逍遥記 

第11話

「ハッピー・バレンタインデー」

―桃源郷・田原の里で発見された日本最古のキリシタン墓碑―

 

バレンタインデーが大嫌いだった。モテなかったわたしは若いころは2月14日に異性からチョコレートをもらうことは皆無。神父になってからは、担当する教会の信者さんからたくさんのチョコレートを頂くようになったのだが、これはこれで、わたしに昔のチョコレートゼロの日々を思い起させ、チョコはわたしにではなく、“神父”という肩書に対してくれるのではないかと憶測してしまうのだ。バレンタインデーはチョコレートをもらっても、もらわなくても、自分のひがみ根性の根深さに驚く日だったのだ。

 

ところが、数年前、わたしの“バレンタインデーの呪い”が解かれた。きっかけは、カトリック大東教会が主催するクリスマスフェスタでの講演である。講師の元四條畷歴史民俗資料館館長の佐野喜美さんは『キリシタン墓碑と青銅製クルス発見秘話』というテーマでお話をしてくださった。その講演の中で、あの日本最古のキリシタン墓碑が四條畷市の田原から出土したその日は、2002年の2月14日の雪の舞い散る寒い日だったということを知ったのだ。

 

 父の経営していた養豚場は四條畷市清滝から旧国道168号線を登り切った峠、四條畷市逢坂にあり、わたしはそこの豚舎で働いていたことがある。田原の里はそこから目と鼻の先だ。今は宅地開発が進み、昔の面影はかなり失われてしまったが、それでもわたしが青年の頃は生駒山系を越えた先にある田原の里は桃源郷のようなのどかな雰囲気を醸し出していたのを思い出す。

 

 出土した田原レイマンの墓碑には十字架、イエズス会を表すHの文字、レイマンを音訳した『礼幡』とう漢字、没年月日の『天正九年 辛巳 八月七日』(天正9年は1581年)の文字が刻まれてる。日本のキリシタンタン墓碑の中で最古のものであるだけでなく、当時の宣教師の手紙の中に安土城で信長に謁見したキリシタンの中に『田原レイマン』がいたことが記されていることから、文献と考古学的知見が一致する貴重な発見でもあるという。

 

 ぜひ、田原レイマンの墓碑と発掘現場、そして、その近くのレイマンの居城田原城址を訪れてほしい。田原レイマンの墓碑はJR四條畷駅から徒歩10分の四條畷市歴史民俗資料館に展示されている。キリシタン墓碑が発見された現場(阪奈サナトリウム駐車場・道路を挟んだ向かいに千光寺跡遺跡が移設展示されている)には、四条畷駅からコミュニティバス「さつきケ丘」行きに乗り、「田原台センター」下車徒歩5分、墓碑出土跡からレイマンの居城である田原城址にまでは徒歩20分くらいで、車無しでも思いのほか気軽に行くことができる。

 

 “河内にもキリスト教の信仰を守り、大切にしていた人々がいたことを日本中に知ってもらいたい!”とレイマン墓碑は長らくの間地中から掘り出されることをひたすら待ち望んでいたのではないかと思う。そのX(エックス)デーが2月14日! もはやわたしの中では2月14日は“河内キリシタン記念日”になってしまったから、チョコレートのことなどどうでもよくなった。


 

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田原レイマン墓碑出土地説明版

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田原城址

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