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今月のメッセージ
今月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」です。教会新聞は、各教会(大東・門真・今市)にございます。他にも、様々な記事を掲載しておりますので、教会にお立ち寄りの際は、是非、ご一読ください。
2025年11月号 掲載
死者の月に
しろきたブロックモデラトール Fr.長崎壮神父
カトリック教会では 11 月を死者の月としていますが、日本の教会に固有なこととして聖母被昇天祭の日、あるいはその前後に死者追悼記念ミサや死者のための特別な祈りを捧げる教会が多いことが挙げられます。仏教のお盆期間が僅か一週間ほどであることを考えると、カトリック教会は、お盆の期間に加えて 11 月のひと月かけて死者のために祈ることを励ましているのですから、私たちのカトリックの信仰がどれだけ死者のことを大切にしているかわかります。
この死者の月を私たちはどのように過ごせばよいでしょうか。お墓参りも大切ですが、心落ち着く秋に祈りの中で先に神様のみもとに旅だった親や兄弟との思い出を静かに黙想するといいでしょう。私はこの季節になると、これまでの人生の歩みの中で出会った家族や恩人たちのことをしみじみと思い出します。ときには感謝の感情が、ときには悲しませたのでは、との後悔の感情も起こってきますが、それらの思いのひとつひとつが死者への追悼の祈りとなっていきます。
このひと月、すでに神様のみもとにいる人々、そして希望をもって天国への歩みを続けている人たちとの友情を祈りを通じて、深めていきましょう。
もうひとつこの死者の月で大切なことは、私たちも自分の死について考えることです。古くからあるカトリック墓地や修道院の墓地では、MEMENTO MORI(メメント・モリ)とラテン語で書かれた碑を目にすることがあります。
直訳すると、「死を忘れるな」という意味で、それは「過ぎ去っていく現世に固執しすぎない」という
意味にも取れます。現世を生きている私たちにも例外なくこの地上に別れを告げるときが来るのです。
この真理を考えることによって、私たちも自分の命について、この地上の旅路を終えたのちのことについても真剣に考え、向き合うことができるようになります。
日本語でもカトリック教会の死に関する考え方、真理をよく表している “帰天”ということばがありますが、その意味するところは、私たちも地上の生活を終えたのち、神様の身もとに帰るということであり、キリスト者にとって、天国こそ真のふるさとであるという考え方です。
私たちの“いのち”の創造主は神様であり、私たちは神様に望まれて、この世に生を受け、この世のつとめを終えたのち、また神様のみもとに帰っていくよう召されているのです。
私たちがいつか帰省するふるさとである天国には、神様と諸聖人たち、そして私たちよりも先に旅立っていった家族や親しい人たちが、私たちが帰ってくるのを待っていてくれます。この世でも私たちは里帰りするときには、お土産をもっていくと喜ばれますが、私たちが神様のみもとに帰るとき、神様がいちばん喜ばれるお土産は、地上にいた時の社会的な功績ではありません。
私たちが、神様からいただいた賜物である命をどれだけ感謝して大切にして生きたか、どれだけ神様と隣人を大切にしてきたか、その愛徳の生きた証しが神様に喜ばれるお土産になります。



