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今月のメッセージ

今月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」です。教会新聞は、各教会(大東門真今市)にございます。他にも、様々な記事を掲載しておりますので、教会にお立ち寄りの際は、是非、ご一読ください。

2025年6月号 掲載

​アべムス パパム 

しろきたブロックモデラトール   長崎 壮神父

教皇フランシスコが帰天され、私たちは教皇レオ14世を新教皇としてお迎えすることになりました。

さきの教皇フランシスコについての私の印象は、神学的な難しいことばを使わずに“いのち”の尊厳について語られた教皇だったということです。

教皇名が示す聖フランシスコのように、被造物であるこの地上のすべての“いのち”が互いに支え合っているのだということを、私たちの心にあらためて刻み込んでくださったことは私たちへの霊的遺産です。

 

 そして、もうひとつ教皇フランシスコが果たした大きな役割は、私たちの間からあらゆる壁をすべて取り除き、ひとりひとりが生きる喜びを感じられる世界をつくろうとしたことです。あらゆるマイノリティに共感を示すよう、利己主義の壁を壊して移民・移住者を受け入れる寛大な心を持つよう、世界に訴えました。

これまで聖職者中心主義になりがちな教会内にあっては、女性の持っている力に信頼と期待を寄せ、女性を教会内の重要なポストに登用し、ともに歩む教会、シノドス的な教会への舵取りもされるなど、これまでの因習を見直し、様々な改革をされましたが、それについては保守的な考えを持つ聖職者からは批判を受けました。しかし「新しいぶどう酒は新しい革袋に」(マタイ9章14~17)と主イエス・キリストが語られたように、教会は旅する教会であり、刷新を必要とします。その意味でも批判を恐れず、聖霊に導かれた改革をされたと思います。

 教皇フランシスコは、深刻な病気の中で四旬節・聖週間の大部分を病院で過ごされ、復活祭の翌日に帰天されましたが、それはまるでキリストの受難・死・復活という“過越秘儀”に完全に一致したことを感じさせました。

在位期間中、教皇フランシスコが批判を恐れず、命がけで伝えようとしたのは“神のいつくしみ”に他ならなかったと思います。私たちは教皇フランシスコが始めた“希望の巡礼者”の聖年の歩みのなかで、もっともっと神のいつくしみを感じましょう。

 

 さて、教皇選挙の結果、新教皇に選出されたのは、ロバート・プレボスト枢機卿で、レオ14世を名乗りました。

マスコミの予想に反した新教皇が選出されたことに関しては、教会の中に聖霊が働き、教会は聖霊によって生かされていることとして受け止めています。教皇選出の直前、復活節の第三主日に読まれた福音の中に、イエスがペトロに「私の羊を牧しなさい…あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(ヨハネ21:18)と仰る箇所がありましたが、初代教皇のペトロに言われたこの“みことば”を世界の誰よりも深い心で受け止められたのは新教皇レオ14世だったと思います。

「よい羊飼いは羊のために命をすてる」(ヨハネ10:11)ともイエスは仰いましたが、教皇になるということはどんなに小さな自我においても死ぬ覚悟が必要になります。新教皇も選出されるにあたり、随分と葛藤があったことでしょう。世界中のすべての人を父の心で愛し、祈ること、教皇職の使命は人間の力では全うできない大変なものです。

この重責を任された新教皇レオ十四世のため、私たちも一層心を込めて祈りましょう。

私たちは教皇を得ました

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