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今月のメッセージ
今月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」です。教会新聞は、各教会(大東・門真・今市)にございます。他にも、様々な記事を掲載しておりますので、教会にお立ち寄りの際は、是非、ご一読ください。
2025年12月号 掲載
新たな希望とともに新年を迎える
タラン・スン・ニュ・イ神父
新しい年を迎えるという事は、私たちにとって単なる暦の変化以上の意味を持ちます。それは、過ぎ去った日々の重荷や不安をそっと後ろに置き、神が用意してくださる「新しい始まり」へと歩み出す恵みの瞬間です。聖書は、古いものが過ぎ、新しいものが生まれるという希望を私たちに繰り返し語りかけています。「見よ、わたしは万物を新しくする」(黙示録21:5)。
しかし、新しい年を迎えても、現実の生活では悩みや葛藤、心配ごとが消えるわけではありません。家族のこと、仕事のこと、人間関係のこと、心に残る傷や不安——それらは容易に私たちの心を重くします。カトリックの信仰は、この現実を否定しません。むしろ、神はその現実のただ中に降りてこられ、疲れた心にそっと寄り添われる方であると教えています。イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と招かれました。この言葉は新年を迎える私たちにとって、どれほど静かで強い慰めとなるでしょうか。神に寄り添われているという確信こそ、希望の第一歩なのです。
聖書が語る希望は、単なる「うまくいきますように」という願望とは違います。それは「神が共におられる」という確固たる土台の上に置かれた希望です。預言者イザヤは、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」(イザヤ9:1)と語りました。これは、闇の現実があっても、神の光がその闇を貫き、未来を開くという希望です。光は闇のただ中に降りて、その領域を静かに変えていくのです。だからこそ、たとえ生活が忙しく、思い煩いが心を覆うような時であっても、神は私たちの人生にそっと灯りをともしておられます。その光が希望へとつながり、希望が未来へとつながるのです。
新しい年を迎える私たちが心に刻むべき大切な真理があります。それは、「希望があるところに未来がある」ということです。未来とは、自分の手で完全に描くものではなく、神とともに歩みながら少しずつ形づくられていくものです。神が共におられるなら、たとえ道が曲がりくねって見えても、その先には必ず光があるのです。私たちが希望を失わない限り、神は新しい道を開く力を与えてくださいます。神の希望は、私たちの弱さを打ち負かすのではなく、その弱さの中に働き、そこから新しい力と勇気を生み出します。
どうかこの新しい年が、私たちにとって、神の光と優しさがあふれる一年となりますように。喧騒の中にも静けさを、不安の中にも平安を、涙の中にも希望を見いだす一年となりますように。そして、私たちの心の奥深くに宿る希望が、未来を照らし、私たちの歩みに確かな力を与えますように。主が新年の始まりから終わりまで、私たちを守り、導き、祝福してくださいますように。



