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今月のメッセージ

今月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」です。教会新聞は、各教会(大東門真今市)にございます。他にも、様々な記事を掲載しておりますので、教会にお立ち寄りの際は、是非、ご一読ください。

2025年9月号 掲載

平和

フェリックス・マルティネス神父

 今回の巻頭言を書こうとしている今日は、長崎原爆の80周年の日です。この原爆によって亡くなった人の中にはカトリック信者が多かったそうです。広島原爆と一緒に、忘れてはいけない、世界の歴史の中でも悲惨な出来事でした。

 この一週間は、戦争や平和に関するテレビ番組や新聞記事でのイベント等が多くあります。「平和とは何か」と考えると「戦争がないこと」と言いがちですが、果たしてそれだけでしょうか。

60年ぐらい前から十数年前までは、修学旅行と言えば、広島、長崎、沖縄の旅行でした。その際は、被爆体験や戦争の被害を中心とした、学校での平和教育がされていました。その後アジア太平洋戦争のこともクローズアップされ、被害の歴史と同時に加害の歴史も意識するようになりました。しかし、「原爆を落としたアメリカが悪い」、それとも「アジアで非道なことをした日本軍が悪い」という結論になってしまうとしたら、それが平和教育になるのだろうかと疑問が残ります。

 話の観点を変えます。第三世界と呼ばれる国々、自然災害を受けた地域にいる人々が、戦争はないけれども平和な暮らしをしているとは思わないでしょう。

 貧困、差別、人権問題、環境破壊等が日常的な状態では、戦争がなくても平和とは言えません。「消極的平和」という学者はいます。それに対して「積極的平和」とは、人々が、安全な日常生活を送ることが出来、恐怖と欠乏を感じない生活ができる状態のことを言います。

 「○○が悪い」という話になってしまうことは、平和につながらないように思います。キリスト教的な考えでは、「平和とは何か」の質問に対する答えは、「人を大切にすること」だと思います。愛とゆるしの話ではないでしょうか。

 旧約聖書における神が、戦う神として描かれる個所がたくさんあります。戦争を肯定するかのような部分も少なくありません。戦争を否定する言葉もあります。特に戦争が絶えない時代に生きたイザヤ預言者はこのように話します。「主は国々の戦いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国々に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書2章4節)。ニューヨークの国連本部前の壁に刻まれている言葉です。

 「シャローム」(平和)の元の意味は、安否、元気、無事、安らぎ、繁栄、仲間…人が人間として生きるのに望ましい状態という意味だと思います。

 イエスキリストは、困っている人、一人ひとりに向き合って寄り添う生き方を残してくださいました。貧困などに心を痛め共に生きる人でした。「積極的平和」を実現する人でした。

 

 現在のロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナのガザ地区のことに当てはめると言葉を失いますが、あきらめたくはありません。

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