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今月のメッセージ
今月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」です。教会新聞は、各教会(大東・門真・今市)にございます。他にも、様々な記事を掲載しておりますので、教会にお立ち寄りの際は、是非、ご一読ください。
2025年4月号 掲載
「行いを伴わない信仰は死んだもの」
タラン・スン・ニュ・イ神父
今回の巻頭言では、「行いを伴わない信仰は死んだもの」という聖ヤコブの教えに基づき、カトリック信仰の実践のあり方を探って、特に現代の日本社会において、いかにして信仰を生きたものとし、福音の証し人となるべきかを考察したいと思います。
聖ヤコブの手紙は、初期キリスト教共同体に向けて書かれたもので、特に信仰と行いの関係について強調しています。聖ヤコブは、「神を信じる」という信仰だけでは不十分であり、それが具体的な行動に結びつかなければ、真の意味で生きた信仰とは言えないと主張しました。聖ヤコブはさらに次のように述べています。「もし兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです」(ヤコブ 2:15-17)。つまり、口先だけの信仰ではなく、実際に人々を助ける行動が伴ってこそ、本当の信仰であると聖ヤコブは強く主張しているのです。
カトリック教会では、「信仰と行い」の関係について長い議論が続いてきました。プロテスタントの伝統では、「信仰のみ」による救い(sola fide)が強調されることが多いのに対し、カトリック教会は「信仰と行いは不可分である」と教えています。公会議の教え(特にトリエント公会議)においても、私たちが神の恵みによって信仰を受けることは確かですが、それを生きるには行いが不可欠であるとされています。信仰とは、単なる個人の内面の問題ではなく、私たちの生き方全体に関わるものなのです。
現代の日本社会において、信仰を実践する上での課題は以下のようなものがあると思います。まず、信仰を公に表明することへのためらい:日本では宗教が個人的なものとされる傾向があり、家族内であっても信仰を積極的に語ることが難しい場合があります。次に、実生活の中での信仰の位置付け: 忙しい生活の中で、教会の活動や祈りの時間を確保することが難しい。そして、社会貢献と信仰の接点:信仰に基づく行いをどのように社会の中で実践するかが問われる。これらの課題を乗り越えるためには、カトリック信者がどのように信仰を生きるべきかを再考する必要があります。
ですから、カトリック信者に求められる信仰の実践は、まず、 祈りと行動の調和:「行いを伴う信仰」は、単に社会的な活動を意味するものではありません。それは、まず神との関係を深めることから始まります。祈りと行動は決して対立するものではなく、むしろ相互に補完し合うものです。 祈りの中で神の御心を知り、それを行動に移すことが重要です。そして、隣人愛の実践:「行いを伴う信仰」を生きるためには、次のような具体的な実践が求められるのです。家族や職場の人々に対して、誠実に接し、愛をもって行動すること。ボランティア活動や貧しい人々への支援を通して、キリストの愛を証しすること。友人や同僚との会話の中で、自然な形でキリストの教えを伝えることです。
聖ヤコブの言葉「行いを伴わない信仰は死んだもの」は、カトリック信者にとって非常に重要なメッセージです。信仰は単なる頭の中の理念ではなく、実際の生活の中で表れるものでなければなりません。日本のカトリック信者は少数派ですが、その分、一人ひとりの生き方が大きな影響を持ちます。私たちが真にキリストの愛を生きるならば、それは周囲の人々にも伝わっていくでしょう。信仰を行動に移し、社会の中で「光」となりましょう。神が私たちに与えてくださる恵みに感謝しながら、日々の生活の中でキリストの証人として歩んでいきましょう。
(ヤコブ2:26)