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今月のメッセージ 2018

毎月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」の2018年のバックナンバーです。

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2018年12月号 掲載

天と地の待降節

昌川 信雄神父

母が逝く前、耳にした言葉は「おかあさん・・・おかあさん」でした。何でもこなしてきた母が、“ベッドの赤ちゃん”になって口にした心が哀れで、傍にいた私は「なあに」と返事をしていましたが、今頃母は天国で「わたしが『おかあさん』と口にして、あのとき探していた母は、マリア様あなたでしたか!」とマリア様の腕の中で涙しているのでしょうか。

 

このマリアさまは、かつて地上で一人の赤ちゃんの誕生を準備して待っていました。

それを私たちは待降節として心の準備をしますが、マリアさまの心の準備には、生まれた赤ちゃんが成人したら、アブラハムの独り子イサクのように、神の祭壇に捧げよとの宣告が刻まれていたのです! 

生贄の我が子。その生涯は、まるで死刑の宣告を受けてこの世に生れてくる私たちの人生の写しであって、私たちに人生の意味と希望を与えるための降誕でした。そしてそれはまた、地上で御子の誕生を迎えたマリアさまが、天上で、今度はその御子とともに私たちを待つ待降節としてくださるためでもあったということに、私はあの母の死を通して気づかされた次第なのです!

2018年10月号 掲載

『十勝カルメル会修道院を訪れて』

竹延真治神父

9月のはじめ、大学生時代の4年間を過ごした北海道の十勝地方を30数年ぶりに訪れた。帯広市郊外の幕別町というところにある十勝カルメル修道会という観想修道会のシスターが招いてくださったのだ。

空港からバスで帯広駅に着いたわたしを受付係のシスター二人が車で迎えに来てくださった。駅は高架になり、真新しいホテルが立ち並ぶ周辺の景色に昔の面影はない。まるで初めて来た土地であるかのような戸惑った気持ちで市街地を抜け出し、斜面を切り開いた森にひっそりと建つ修道院に到着した。

修道院では、来客と接する受付係のシスター以外は、全員塀の中で祈りと労働に励んでいる。着いた日の夕方、北海道での初めてのミサをささげた。ミサが始まる直前の聖堂で、祭壇と歌隊席の前を隔てている扉が開かれ、修道服を着たシスターたちの姿を垣間見ることができた。講話は拘置所の面会室のようなところから、窓を通してシスターたちに話しかけるようになっている。拘置所のようなアクリル板ははめられてはいない。

学生時代のわたしは、広い十勝平野のあちこちを車で駆け巡って自由を謳歌していた。もし、ここのシスターのように塀の中に閉じ込められたら気が狂ってしまうのではないかと思う。

それにしても、説教や講話の時に話を聴くシスターたちの態度はすばらしい。一言ひとことを聞き逃がすまいと耳を傾けている。ノートを丁寧にとっておられる方が多い。ついつい酪農や牧場のことに話が飛んでしまうが、後の面接の時間にはわからないことを質問してくださるシスターもいた。あるシスターは「神父様は牛のことを話すときは活き活きとされていますね。」とわたしのことを見抜いた。神さまのことをよく知り、そして修道生活の中で実際に祈りと兄弟愛を実践しているのはわたしではなく、ここのシスターたちの方だから、わたしがシスターたちに心から話せたのは動物のことだけかもしれない。

6日間の滞在の途中で地震に遭った。2日あまり続いた停電で、客室に置いてくれていたテレビもスマートフォンも使えなくなり情報が途絶えた。空気が澄んでいる上に、電灯の光が消えた十勝平野を天の川が走り、満天の星が輝いていた。観想修道院の沈黙の中に聞こえる鐘の音とシスター方の祈りの声は、騒音と雑踏の大阪で生きるわたしにはこの上もない御馳走であった。後ろ髪をひかれつつ、帯広を去った。わたしの愛する十勝の地にカトリックの修道院ができ、その中でシスターたちが祈りをささげてくれている。なんという恵み、なんという喜び!

2018年11月号 掲載

『いのちへのまなざし』を読んで

Sr高橋由美子

『いのちへのまなざし(増補新版)』(2017年)が出版され、初版(2001年)に大幅な改訂が加えらました。司教団のメッセージを、時のしるしとして深めることができればと思い、改訂作業に深くかかわられた幸田和生司教様のお話の2章を紹介します。

かつて日本は3世代同居が当たり前の時代がありましたが、現在では単身世帯が一番多く、生き方が多様化し、ひとつの家族の形を提示することが難しくなっています。初版では互いに支え合って生きていく家族が揺らいでいるということで「揺らぐ家族」というタイトルでしたが、新版では、人間が生まれ、いろいろな喜びや悩みを抱えながら生き、老いていくという「人生の歩みの中で」いろいろな問題を取り扱うことになりました。たとえば、予期しない妊娠の悩み、虐待、貧困、いじめ、就労困難などです。

貧困や知識不足から幼いいのちが脅かされるなかで、「こうのとりゆりかご」(熊本県)が設置され、幼いいのちを守る活動が各地に広がっていることを指摘しています。

性的マイノリティーの方たちへの配慮も記されています。社会から排除されていると感じている人たちの支えとなる教会であることが求められています。

現代は多くの夫婦の絆が揺らいでいます。結婚生活を維持することができなくなった人に対して、教会は裁き手として振舞ってきました。この姿勢を反省し、苦しむ人を温かく包み、人生の新たな歩みを励ます教会でありたいです。

超高齢化社会をどのように生きるかは大きな課題ですが、教会では高齢者が経験や能力を発揮して活動しています。震災の仮設住宅で始まった「お茶っこサロン」のように、地域の高齢者がつながりを深める場を提供することはできないでしょうか。

多様化する社会の中では、ひとつの物差しでものごとを決めることが難しい時代になりました。「教会の教えだから守らなければならない」と、結論を押し付けるのではなく、具体的な個々の問題に寄り添いながら、いのちの在り方について、ともに考えていくことがとても大事なことではないでしょうか。


平和を探し求める人

2018年8月号 掲載
Sr高橋由美子

 個人的な話ですので、少し内容を変えて紹介します。
 外国籍の友人の息子が結婚のときに挨拶に来て、「亡くなった親父は、俺の人生つまらなかったと口癖のように言っていたが、そうではなかったと思っている。職場の人間関係が下手で、たびたび仕事を変え、そのたびにおふくろはガミガミ言って親父を非難するので、家庭内はいつも大変だった。」と話していました。職場では偏見や差別があり、溶け込むことが難しく、能力のある方でしたが、その力を十分に発揮することができませんでした。それでも、教会を生き甲斐としていたお父さんを理解できる年齢に成長した青年を、頼もしく思いました。
 2018年世界平和の日の教皇メッセージは、「移住者と難民、それは平和を探し求める人々。」でした。教皇は、「移住者と難民の多くは、平和を見いだすために、いのちをかける覚悟で旅に出ます。その旅は多くの場合、長く険しいものです。そして彼らは苦しみと疲れに見舞われ、目的から彼らを遠ざけるために建てられた鉄条網や壁に直面します。戦争と飢餓から逃れてきたすべての人々、差別や迫害、貧困、環境破壊のために祖国を去らざるをえないすべての人々を、慈しみの精神をもって抱きしめましょう。」と呼びかけられています。
 電車や雑踏の中ではいろいろな外国語が飛び交うようになりました。確かに外国からの移住者が増えてきました。ここ20年は、教会も多言語のミサが多くなり、共に祈る機会が増えてきました。きれいなハーモニーで神を賛美する祈りは、信仰の豊かさを感じさせられます。生活の中では教会との関係を何よりも優先し、子どもたちの信仰教育も大事にしています。私たちは彼らから信仰の恵みを受けるだけではなく、もう一歩進んで、平和を探し求める人が、新しい社会で孤立することなく地域に溶け込むことができるように、手を差し伸べることを求められているのではないでしょうか。

2018年9月号 掲載

家族

昌川信雄 神父
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映画『万引き家族』を見て、その1シーンに心打たれました。

二人の連係プレーで万引きして、先に店を出ていく妹を追う兄を、老店主が呼び止めます。振り向いた兄に「もう妹に盗みをさせるなよ」と小声で言いながらお兄ちゃんの手に店主が二本のキャンディを渡したシーンでした。

「生活の糧を得る手段を持たない貧しい者の『盗み』は罪にならない」という言葉をどこかで見聞きしたことが浮かびました。妹は、親の養育放棄を見かねて連れてきたよその子どもでした。「捜索願も出ていないし、身代金も要求していないのだから誘拐にはならない」と言うのがこの家族の言い分でした。

食べるシーンが多かったことで、 (そう!命にとって食は最低限の権利なのだ。ならば、街のカラスも猫も里のイノシシも、みんな食が保障されるべきでは?) かつて釜ヶ崎でホームレスの人たちと関わっていた時のことを思い出しました。彼らが期限切れの弁当を求めてコンビニのゴミ箱に群がった翌朝、カラスや猫の仕業のような始末を見た店長は以後、弁当の中に砂を撒いて捨てるのです。

  ラストシーンは、少年の良心の芽生えがきっかけで家族は法の裁きに服すことになりますが、取り調べに答える家族のことばには『法』に勝る光るものがありました。それは共に生きている人を家族として大事に思う絆でした。

  見終わって、自分の共同体に思いが向かいました。育ちも歴史も違う寄せ集めの中で私が大事にしてきたことは「生きとし生きるものみんな家族」のはずだったと。               

カラスも猫もイノシシも野宿者も、地球家族が等しく生きられる世を見つめた映画の主題は、教皇様が世界に訴えておられるイエス様の視点でもあるのです。 

2018年7月号 掲載

祈りの効果

竹延 真治 神父

小学生の頃から肥満気味で運動の嫌いだったわたしは、運動会や遠足が大嫌いだった。

普通の子だったらテルテル坊主を軒先に下げて、「あした天気になあれ!」と祈るところをわたしは、「雨が降って運動会が中止になりますように!」と祈ったものだった。

そのころを思い出してみて、雨で運動会や遠足が中止になったという記憶はない。

枚方教会の主任司祭であった4年間で、4回の教会バザーが開催された。

秋晴れが期待される10月の後半の日曜日を選んで日を決めるのだが、驚くことにわたしの在任中、4年間連続でバザーの日に雨がふった。

わたしは直観した。「こどものころの祈りが今頃になって聞き入れられたのだ!」と。

信仰熱心だった母は、「祈りはいつか必ず聞き入れられます。だから祈りなさい。だけど、聞き入れられる時期は神さまに任せないといけません。」とわたしに教えてくれた。せっかちで“いらち”なわたしは、すぐに願いがかなわないと地団太を踏み、そして、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のたとえ通り、困難が去ってしまうとすぐにお願いしたことさえ忘れてしまうのだ。

そんなことがあって、最近はあまり虫のいいお願いを神さまにしなくなった。その代わりに、神さまがくださるものは良いとか悪いとかを自分で決めつけないで、すなおにいただこうと思うようになってきた。今のわたしに必要なものを知っているのはわたしより実は神さまのほうなのだから。

​初聖体の恵み

2018年6月号 掲載
昌川 信雄 神父

住まいを移して

2018年5月号 掲載
シスター 高橋由美子

 修道会の使徒職の再編成で、関目修道院を閉鎖することになり、3月末日に引越しをしました。数年前から引越しの計画はありましたが、まだまだ先の出来事で、なかなか現実のことと思えませんでした。関目修道院は1946年創設ですから教会と共に歩んだ懐かしい歴史があり、修道院日誌は70年を越えます。そこには、居住したシスターたちの想いが込められていますので、家財道具を送り出したとき、今までの生活を置いていくような寂しい気がしました。
 
奉献生活者は長上の派遣により、数年に一度は住まいを変え新しい使徒職に身を置きます。住む場所が変わると新たな自分になった気がして、若いころは身軽に東京、仙台と動くことができました。昨今、社会の変化や会員の高齢化で、譲渡する使徒職や閉鎖する修道院も増え、次第に動くことが少なくなってきました。そうすると、どうしても使命に向かう姿勢が停滞してしまいます。環境を変えることもキリストに従うあり方を振り返る機会になるのではないでしょうか。
    
多くの修道院は、郊外にありますので、街頭の騒音や雑踏はほとんど聞こえてきません。関目修道院も教会に隣接した場所で長い間過ごしてきましたが、ここ20年は、1階に大家さんが生活し、2,3階をお借りしていました。「行ってらっしゃい」「お帰り」と言って迎えられる関係でした。家の前の路上では、学校から帰ってきた子供たちが縄跳びや、ボール投げをしてとても賑やかです。また、デイサービスへの通所、病院に入退院する近所の様子が我が家の出来事のように感じられ、ともに心を痛めることがありました。従来の修道院とは違い、地域社会の喜びや不安を共にすることができたように思います。

祈りの部屋の障子、畳、襖はくたびれていましたが、たくさんの想い出とともに祈りが詰まった家を出て、新しい地域に身を置き、新たな出会いを探して再出発しようと思います。
 

復活祭が来るたびに

2018年4月号 掲載
竹延 真治 神父

ナザレから何か良いものが出るだろうか?」イエスがナザレ出身だと聞いたナタナエルが思わずつぶやいた言葉がヨハネ福音書に記されている。わたしは、この箇所を自嘲ぎみに「河内(かわち)から何か良いものが出るだろうか?」と読み替えていたものだった。わたしは河内のど真ん中、東大阪市(旧布施市)の長田というところで養豚業とアヒル屋を営む父の長男として生まれた。大雨になると家も豚舎も水につかるような環境や粗野な河内弁を話す人々の中にあって、わたしの母とその子供たちだけがカトリックの信者であることにずいぶんと違和感を持って育ってきた。カトリックというのはもっと品の良い人々が信じる上品でハイカラな宗教であって、豚やアヒル(合鴨)がそばにいたり、住む家が水に浸かったり、河内弁が飛び交うようなところにはカトリックは向いていないのでは、というのがわたしの子供のころからの素朴な疑問であった。そして、「なんで僕だけが」と洗礼を受けさせた母を恨みさえしていた。

 ところが十数年前に、河内地方がキリシタンの聖地であることを知るようになってびっくり仰天した。フランシスコ・ザビエルが来日してまだ十数年しかたっていない1563年に、河内の飯盛山城で三好長慶(みよし ながよし)配下の武士73名がカトリックの集団洗礼を受けたと言うのだ。そして、最盛期に河内には6000人もの信者(キリシタン)がいたとの報告が、宣教師たちの手紙によってローマにもたらされているのだ。今は堺市と大阪市の境界付近で大阪湾に注ぎ込んでいる大和川は、中世は河内をいくつかの支流に分かれて横切り、天満橋あたりで淀川に合流していた。わたしの生家が水に浸かりやすかったのもそのあたりが昔は大和川の支流が流れていたことに由来するのであろう。飯盛山城のふもとには大和川が注ぐ深野池(ふこのいけ)という大きな池があって、その中にある三箇(さんが)という島には先の73名の受洗者の一人、三箇サンチョという殿様の城と教会があった。サンチョは復活祭になると深野池にたくさんの船を浮かべて復活祭のお祝いをし、伴天連(ばてれん)(パードレ=神父)やたくさんのキリシタンたちに御馳走をふるまったということがローマへの報告書に記されている。

 この河内キリシタンの子弟の中からパウロ三木、三箇アントニオのような聖人や福者になった殉教者が生まれたし、また神父たちとともに九州にくだり長崎や天草で宣教者となった人々を輩出したのだ。

 彼らは、子どものころの深野池での復活祭の盛大なお祝いを生涯記憶にとどめ、神が注がれたいつくしみを深く心に刻んだからこそ、下克上の戦国時代においても信仰を保ち、さらに苦難を伴う殉教や宣教に赴くことができたのだろう。わたしたち、河内キリシタンの後継者であるカトリック信者は復活祭が来るたびに、河内キリシタンの生きざまを思い出したい。この河内こそキリシタンが生まれるにふさわしい土地だったのだ。

〈四旬節〉回心・洗礼・復活への道

2017年3月号 掲載
昌川 信雄 神父

昌川神父 による 原版(絵画と組版)

かつて秋日和のある日、ベランダの植木鉢をずらしたとき、出てきた一匹のシデむしを側で見ていた学識高い太っちょの神父さんが反射的に足の下にしてしまいました。私は「エーっ 神父さん、あれも神様が造ったんだよっ」と叫んだら「余分に造ったんでしょ」と私を見下ろしながら、こうも言いました。「だいたい地球上の生物の90%が、他の生物の餌になるんだよ。人間もその例外ではない。ウイルスや癌の餌だ」と。/生物の互いの餌にするという初めて耳にした『計りがたい神さまのやり方』に困惑圧倒された私でした。/しかし『他の餌になる』という亡き神父さんのこの解釈はその後、降誕祭を控える毎にキリストの生涯の黙想に、良いヒントを私に与えてくれています。/『飼い葉桶の幼子』は、牛や馬がご飯を食べる茶碗の中で「私をあなたの餌にしてください」と身を差し出し、十字架上の死で私たちの完全な餌(ご聖体)になってくださった主であり我が子の餌となって川をていく『タニシの殻』は、餌と食われてキリストの手の中で復活する世のお父さん、お母さんの姿なのです。/自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。(ルカ17・33)

回心: 神と富とに仕えることはできない(マタイ6・24)

バッファリンを飲んで頭痛が治ったら「バッファリンありがとう」という人。

「バッファリンを飲んで治るようにして下さった神様ありがとう」というべきではありませんか? 富は神の恵みであって富の中に救いはありません。

洗礼: 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい(マルコ10・25)

サタンと富をばらまき、昼寝をしながらごっそり魂を獲得。悪霊は人の自我が住処。洗礼は自我を脱皮して神の心(新しい命)で生きることです。

復活: 心の清い(二心のない)人は神を見る(マタイ5・8)

神様が苦手としている人は、熱くも冷たくもなく、生ぬるい人。

良くも悪くもまっすぐで、二心のない人に神の恵みがくると、その人はパウロのように、すっかり神の者にされるのです。

水滴りて石を穿つ(うがつ) その2

2018年2月号 掲載
Sr. 高橋 由美子

教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シー」の大きな呼びかけに応えて、昨年8月、私の修道共同体の小さな取り組みを紹介しましたが、その経過を報告します。まず、月一度キャンドルナイトをする。次に、水道、電気、ガスの使用量を昨年より3パーセント(当初計画は8%、途中変更)減らすということでした。

月一度、早々に電気を消して早寝をし、寝る前の祈りの時はローソクを灯してきました。数年前に、夏至と七夕には地球温暖化防止のために呼びかけたライトダウンで施設の消灯が実施されてきましたが、昨今、冬になると樹木や商業施設のライトアップが幻想的な美しさで人々を魅了してきました。CO2の削減はLEDになると問題にされなくなりましたが、矛盾と疑問を抱えつつ、ローソクの灯で祈りをし、神さまに向かう時間を大切にするよう努力しています。

※写真はイメージです

水道、電気、ガスの使用量3パーセント削減は、当初の予定ではそれほど困難ではないと思っていました。節約に努めてきましたが、共同体の構成メンバーが減ったこともあり一人当たりに換算すると、3%の削減どころか、増加になってしまいました。いったい、家庭で資源エネルギーの節約のためにどんな工夫があるのでしょうか。
環境の聖人アシジのフランシスコは「太陽の賛歌」で
 神よ、造られたすべてのものによって、私はあなたを賛美します。
 私たちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。
 太陽は光をもって私たちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。
 私たちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。
 月と星はあなたのけだかさを受けています。

 私たちの姉妹、母なる大地によってあなたを賛美します。
 大地は草や木を育て、みのらせます。
節約より、アシジのフランシスコのように太陽エネルギーを生活の中に取り入れる工夫はどうでしょうか。日中はカーテンや障子を開け放して、お日様の温かさを取り入れるようにして省エネ生活を楽しんでいきたいと思います。

VIVAしめきり!ヴィヴァ人生!

2018年1月号 掲載
竹延 真治 神父

 今は、2017年12月10日(日)の午後5時過ぎ。さきほど今市教会の待降節黙想会の後、教会月報の編集者から、この巻頭言の原稿締め切り日がすでに過ぎていることを告げられた。
 一瞬だけ、「来年の1月の発行なのに、なぜそんなに早い締切日なの?」との疑問が頭をよぎったが、新しい事態が起こった時にはまず受け入れてその意義を見出そうとする癖があるわたしは、なんのために締切日があるのかを頭の中で考え始めた。するとすぐに結論が出た。
 そうだ、わたしは、締切り日がなかったらぜったいに嫌なことには手を付けない人間だ。もし、「この日までに仕上げないとどういう目になるかわかっているだろうな!」という発注者の外圧がかからなかったら、わたしは好きなこと以外はいつまでもズルズルべったりに放ったらかしにして、何事もうやむやにしてしまうに違いない。原稿を依頼された時にすぐに机に向かい何かを書き始めていたら、たっぷりと時間はあったのだろう。しかし、追い詰められないと頭が回らないわたしは、長い時間をかけても書きたいことは浮かんでこないにちがいない。原稿依頼に締切日があるのは、わたしのような優柔不断な人間にはありがたいことなのだ。
 "一年の計は元旦にあり"と古人は言う。自他ともに認める、苦労知らずでボンボン育ちのわたしは外観で若く見られることが多いが、数え年ならもう還暦を迎える。そして、高校や大学の時の友達も、鬼籍に入る人がこのところ相次いでいる。もう、わたしも人生の締切日が間近に迫っているのかもしれない。
 カトリックの生き方は、"memento mori(死を想え)"、"初めに終わりを想う"のだと教えられてきた。人生にも締切日があることを感謝し、さあ今年こそ一日一日を精いっぱい生きてみよう!

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