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河内キリシタン

大東市三箇付近から見た生駒山
竹延神父の河内キリシタン逍遥記
第1話
「河内から何か良い物がでるだろうか?」
―河内はキリシタンの聖地―
フィリポというイエスの最初の弟子が、ナタナエルという友人にナザレのイエスを紹介したところ、ナタナエルは「ナザレから何か良い物が出るだろうか?」と答えたことがヨハネ福音書の第一章に書かれている。イエスの出身地ナザレという場所は、“ゼブルンの地、ナフタリの地、異邦人のガリラヤ”と旧約聖書でも言われているように異教徒との混血が進み、ユダヤ人の間では神さまから見捨てられた暗黒の土地だと思われていたのだ。
布施市(現東大阪市)長田で高校生まで過ごしたわたしは、“河内から良い物がでるだろうか?”と、この聖書の箇所を読み替えて自分の出身地でもある河内を卑下していた。高校生の頃、今東光の小説『河内風土記』を愛読していたが、彼の小説に出てくる好色でドけちな男たちが河内の代表者のように思いこんでいた節がある。
実家は、都市化の波がそろそろと押し寄せようとする長田のはずれで養豚場とアヒル屋を営んでいた。水はけが悪く、台風や豪雨の時には豚舎も家も同じように水に浸かった。
母がカトリックの信者なのでわたしもわたしの兄弟も町のカトリック教会で幼児洗礼を受けた。
日曜日になるとバスと電車を乗り継いで河内永和の駅近くの教会に通ったが、わたしの部落ではカトリックはわたしの家だけであった。
水に浸かり悪臭漂う養豚場と好色でドけちで、粗野な河内弁を話す人々・・・そのようなわたしが河内について抱くイメージは、聖なる、清らかなキリスト教のイメージとは対照的なものだったのだ。河内とキリスト教とは水と油のように交じり合わないとわたしは思い込んでいた。
ところがこの河内が日本でも最古の部類に属するキリシタンの聖地であったのだ。

今東光著『小説河内風土記』の表紙