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今月のメッセージ 2024

毎月の教会新聞に掲載している、司牧チームによる「巻頭言」の2024年のバックナンバーです。

2024年4月号 掲載

『復活の光の中を歩みだそう』

長崎 壮神父

 しろきたブロックの皆さま、主のご復活おめでとうございます。

 一年で最も喜びと希望の溢れる復活節の始まりです。

 日本に暮らす私たちキリスト信者が復活節の喜びを強く実感できるのは、この時期が日本の春にちょうど重なるからです。新しい生命の喜びを生きることをすすめる教会の暦にまるで呼応するかのように自然界では木々や花々が新しい命を生み出し、仕事場では新年度が始まり、そして学生にとっては新学期、入学式の季節に重なります。

 しろきたブロックのふたつの教会では、今年の復活徹夜祭で洗礼式が行われ、あらたな兄弟姉妹が生まれたことも大きな喜びですが、この喜びは受洗者を出した小教区だけのものではなくともに歩んでいるしろきたブロック全体の皆さんの祈りの実りとして受けとめたいと思います。

 しろきたブロックの宣教・司牧に携わって一年が過ぎた私ですが、しろきたブロックのよさは、それぞれの教会が特徴を持っているということです。

 大東教会は河内キリシタンの誕生の地であり、それはそのまま大東教会のアイデンティティでもあるでしょう。河内キリシタン祈念祭の開催や、三月には大東市主催の武者行列に教会側も積極的に参加するなど、地域と社会に開かれた教会としての印象を受けます。

 門真教会はフィリピンの信徒やベトナムの青年信徒が多く集まる教会で、多文化共生のモデルの教会となっています。日本の教会全体の高齢化が進む中で若い外国籍信徒が多く集まり、典礼にも活気を与えてくれています。言葉の壁という問題もありますが、今後は日本人信徒と外国籍信徒が互いにもっと交流を深めていく方法を模索していきたいと思います。

 今市教会は宣教的な教会と言えるかもしれません。立地に恵まれていることもあり、日中多くの信者さんが教会に立ち寄り、出入りします。十月の毎日のロザリオの祈りにも多くの方が参加し、勉強会や文化教室などが多いこと、幼稚園との連携から教会学校がさかんなのもこの教会の特徴でしょう。

 最後になりますが、昨年秋に私たちの教区は大阪高松大司教区となりました。まだ皆さんは実感がわかないかもしれませんが、この春から本格的に動き出すことになります。

 そのひとつとして、わかちあいと識別を段階的に繰り返してきたシノドスも終盤に入り、大阪高松版のシノドスガイドブックも近々発行されることになっています。それらを参考にしながら、大司教区の方針を共有し、それぞれの小教区がその特長を生かし、司祭・信徒が祈りと対話を通してともに識別し、あらたなチャレンジをしていければと願っています。

 皆さん、復活の光に照らされながらともに歩んでまいりましょう。

2024年3月号 掲載
『平和を作るのはだれ?』
フェリックス・マルティネス神父
 ウクライナやガザ地区を始め、ニュースに出てこない世界中の戦争のことを前にして、平和について考えます。
 私たちは毎日、学校で勉強すること、会社に行って働くこと、一日3回食事し、病気になったら医者に診てもらえること、家族や友達と笑顔で楽しい時間を過ごすことなどが出来て、日本でよかったなと思います。
 今戦争に苦しんでいる国も以前は平和でした。日本はいつまで今のように平和でいられるのだろうかと心配になります。平和は当たり前ではありません。作られ、守られていくものです。今は「大丈夫だろう」と思っていても、数年後もまだ平和に暮らしていけるのでしょうか。
 この頃、ミサの中だけでなく、きっと個人的にも、世界の平和のために祈ることが増えていると思います。素晴らしいことです。しかし、気になることがあります。「神様、なんとかしてください」と祈っているような気がします。「神様任せ」といったところでしょうか。
 神様も私たちに願っていることがあるような気がします。「困っている人たちを助けるのはあなたたちですよ」、「戦争を終わらせないといけないのはあなたたちですよ」と。神様が奇跡的(魔法的?)に私たちの問題を終わらせることはありません。「あなたたちが頑張ろうとすれば、私も手伝うよ」と神様が教えているのです。
 聖書には「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と書いてあります。聖書でいう平和は、ヘブライ語でシャロームです。言葉の由来とその意味は、「回復する」、「和解する」、「バランスを取り戻す」という意味です。誰かともめた後、「すみません」と謝って仲直りするとき。困っている時に、誰かに助けてもらって立ち上がれた時。このような時にはシャロームと言います。
 悪いことや悲しいことがあって、それが克服され、調和が取り戻されたときに、「シャローム」になるのです。いろいろな逆境から学び、乗り越え、いい状況を取り戻した人が「平和を実現できる人」です。
 平和を実現する人になるのには、どうすればいいでしょうか。人だけではなく、自然や動物の命の尊さを知ること。自分のいいところ、相手のいいところに気づき、認めあうこと。お互いにゆるし合って、協力し、励まし合うこと。問題があれば、自分の思いを伝え、相手の思いを受け入れること。自分より弱くて小さな人を思いやる心を持つことです。
意見が違う時、暴力やいろいろな形で圧力をかけたりすることで解決しようとしたらケンカになり、両方とも苦しむことになります。世界のあちらこちらで戦争や紛争の悲しいニュースが毎日伝えられ、罪のない一般市民や子どもが犠牲になっているのを見ていると、平和の難しさを感じますが、武器や軍隊による問題の解決は、復讐の連鎖や妬み、死と破滅しか生み出しません。
 「理想としては分かりますが、現実は違いますよ」と言われそうですが、わたしはイエス・キリストこそ、世界一の理想主義者だと思うのです。 
2024年2月号 掲載

『聖霊の導きを祈る』

ハイメ・シスネロス神父

 一般的に、聖霊に向かって祈る習慣が無いと言われます。しかし祈りの世界に介入して下さる時に、聖霊が祈らせてくださるとあり、私たちは自由に祈れると確信します。

 『聖霊 来てください。待降節から主の公現まで、私には次のような気付きがありました。感謝します。教会の典礼に触れて感銘を受け、その喜びを捧げます。それがあまりにも深い神秘の恵みだと今も味わいながら、兄弟姉妹である皆様に伝える力を感じさせてください。聖霊の貴重な働きによって、神の御独り子の受肉の神秘に大きな喜びが注がれることを感謝します。

 

 また、お告げを受けた乙女マリアに天使が述べた言葉を、新たに心に留めたいと思います。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる』(ルカ1:35)。その言葉を聞いた乙女マリアは大変な決断をし、神に選ばれたことを受け入れて、『わたしは主のはしためです』と告白しました。     

そうして聖霊の助けによって、聖母は平和な心となり、イエスを生んだ のです。聖霊に感謝を致します。ここまでがわたしの祈りです。主イエス・キリストの名によって、アーメン。』。

 さて、主の降誕のミサをささげて感じたことが三点あります。

 

一つ、神様が人間に最も近いものとなった恵み。それはやはり御子の受肉の実りと信じます。

 

二つ、神は母のような優しさを示され、人間となった御独り子に出会わせてくださり、一人一人の心の中に、主イエスの誕生の器になれる招きを受けた恵み。

三つ、神は共にいてくださり、救い主を送って下さった。『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』(ヨハネ3:16)とあり、それをさらに深く信じました。

 

 また、聖家族のミサでは、ナザレの家族への憧れを強く感じました。聖家族とはイエス、マリア、ヨセフ、三人の絆です。その三人を迎えた二人の人物が聖霊の導きによって神殿に入りました。正しい人で信仰が厚いシメオンとアンナという女預言者で、二人は共に賛美しました。神殿での式が終わり、ナザレに帰ったあと『幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。』とあります。

 

 最後に、2024年のモットーとして聖霊に心を開いて毎日3回ほど、『聖霊来て下さい』との祈りの後に行動することを勧めます。

2024年1月号 掲載

『人々の間でのクリスチャンの生きた模範』

タラン・スン・ニュ・イ神父

尊敬する皆さん

 イエスはこう言われました。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。それこそ律法と予言者である」(アタイ 7・12)。それで今回、クリスチャンの生きた模範についてお話したいと思います。クリスチャンの信仰は、他人への愛と奉仕、誠実さ、そして道徳的な生き方を強調しています。これらの価値観は、私たちの日常生活において模範的な行動を生み出しています。

 

 まず第一に、クリスチャンの生きた模範の中で最も重要なものは、愛と寛容です。私たちは他人を理解し、受け入れ、慈悲深い心で接することを大切にしています。この愛と寛容の精神は、教会そして社会全体に希望と和解をもたらし、人々を結びつける力を持っています。

 

 次に、奉仕の精神はクリスチャンの模範に不可欠な要素です。信仰に基づき、自分の才能や資源を使って他者を支えることは、クリスチャンにとって喜びの源となります。私たちは教会において積極的な役割を果たし、奉仕を通じて共同体を強化しています。

 

 誠実さと正直さもクリスチャンの生きた模範の一部です。信仰において真実を追求し、他者との関係において正直であることは、信頼の基盤を築き上げます。これによって、クリスチャンは個人的なつながりだけでなく、広いコミュニティとの信頼性のある関係を築いています。

 

 クリスチャンの生きた模範は道徳的な態度を反映しています。正義、公正、慎み深さがその核となり、これらの価値観は、私たちが直面する倫理的な問題に対処する際の指針となります。このような態度は、教会全体の調和と安定に寄与します。

 

 最後に、感謝と、感謝の態度がクリスチャンの模範の一環です。神への感謝と他人への感謝は、謙虚さと共に生きる、クリスチャンの特徴です。恵みや愛を受け入れるだけでなく、それを分かち合い、他人に対して感謝の気持ちを表すことが求められています。

 

 総括すると、クリスチャンの生きた模範は愛、奉仕、誠実さ、道徳的態度、感謝の心が結びついたものです。これらの価値観は私たちが信仰の根本に立って行動し、他人との関係において、愛と奉仕の心をもって生きる原動力となっています。これは単なる宗教的な信念だけでなく、広く共感される人間性の理想を提供しているのです。

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